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日本を敗戦に導いた女性

Fri 23 Jan’09

カテゴリー » 埼玉

映画「パッチギ!」や人気ドラマ「ルーキーズ」(TBS系)に出演した俳優の桐谷健太さん(28)が主演する舞台「恋と革命」が21日から、東京・港区の赤坂RED/THEATERで上演されている。桐谷さんは今回、初舞台で主演を務める。約2時間の舞台で、伸び伸びと役を演じた桐谷さん。上演後に話を聞くと「最初は『怖い』という感覚しかなかった。通らないといけない道なんだな、と。せりふとか飛んじゃったらどうなるんだ?と(不安で)、けいこ前は眠れなかったです」と胸の内を明かした。

 桐谷さんはこれまで、映画「クローズ ZERO」など、比較的同世代の俳優との群像劇に出演することが多く、三枚目的な役柄が多かった。この舞台では、軍需産業で富を築いた家に生まれながら、戦後のGHQ占領下で駅員として働く青年、村雲武彦を演じている。軍中枢部の軍人の家に生まれながら軍の機密を米軍に横流しし、日本を敗戦に導いた女性(中村ゆりさん)を、ただひたむきに愛する青年を演じることについて、「すごくダサかっこいい、人間味のある役をいただけたのが、ありがたいです」と語った。

 桐谷さんは、演じる役ごとに“色”が浮かぶという。「今回は“赤”というイメージだったんです。それで、ここ(公演会場)が“RED/THEATER”というのが、ラッキーだなと思いました」と喜んだ。初座長を務めることについては、「すごくみんなに支えられているなと。みんな(の演技が)よくなってほしい。作品がよくなってほしいと思うんです。すごく寛容になれるというか……」と、スタッフ、共演者への思いを口にした。

俳優の佐藤隆太(28)が15日、都内で行われた初主演舞台「ビロクシー・ブルース」の製作発表会場で断髪式に臨んだ。米劇作家ニール・サイモンの原作で、地獄の訓練を受ける新兵を演じるための役作り。共演の忍成修吾(27)らからハサミを入れられると「相撲の引退式みたい」と恥ずかしそうな笑顔。全体的に約5センチカットし、ブロッコリーのようだった髪が、精かんなGIスタイルに。髪を刈り込んだのは約4年ぶりで「すっきりしました。訓練所に一歩足を踏み入れた感じです」と頭をさすった。公演が行われる東京・渋谷のパルコ劇場は、10年前に俳優デビューした舞台を行った場所。「この10年間に得てきたものをお見せしたい」と抱負を語った。2月2日初日。

訓練 地獄

— posted by サイト管理者 at 06:59 pm  

もう一度生きてみよう

Sat 10 Jan’09

カテゴリー » 埼玉

炊き出しを待つ人たちの長い列(3日、東京・日比谷公園で)=尾賀聡撮影
 収まる気配のない不況の嵐。きしみが生じていた暮らしは、大きく揺らぎ始めた。各地で上がる声なき悲鳴を追う。

元日に自殺未遂 派遣村で46歳涙
 職や住居を失った人たちが身を寄せる東京・日比谷公園の「年越し派遣村」には、3日も新たに入村する人たちが相次いだ。入村者の中に、生きることに絶望し、元日に自殺を図るまで追いつめられた男性(46)がいた。家庭崩壊、長年のネットカフェ生活、そして失職。男性は、偶然知った「派遣村」で励まされ、「もう一度生きてみよう」と自分に言い聞かせていた――。

 「もう仕事はない」。日雇い派遣労働者だった男性が派遣元の担当者から告げられたのは、昨年末のクリスマスイブだった。約7年間続けた製本の仕事は日当6840円。週5日働いてきたが、泊まり続けたネットカフェは1日1000円以上かかった。大みそかの朝、所持金は200円になっていた。「もう死ぬしかない」。あてもなく歩き始めた。

 男性は、北海道釧路市出身。19歳で上京し、不動産会社の従業員だった27歳の時に結婚した。その後、タクシー運転手に。待望の長男を授かってからは、率先して炊事や洗濯、子守を手伝う良き父だった。

 しかし、タクシーの仕事は減り、それに伴い夫婦仲も悪くなり、8年前に離婚した。空虚感から仕事が手につかなくなった。離婚から2年後、アパートを夜逃げ同然で飛び出し、ネットカフェなどで暮らしていた。

 今年元日。イヤホンでラジオを聞きながら歩き続けた男性は、午後5時ごろ、羽田空港近くの木の生い茂った歩道にたどりついた。上京後、初めてデートした公園のそばだった。高い木を選んで枝にベルトをくくりつけ、自分の首に巻き付けた。

 だが、ベルトのバックルが壊れ、一命を取り留めた。放心状態で聞いていたラジオから「派遣村」を紹介するリポーターの声が聞こえた。

 「派遣村にどんどん人が集まっています。今、さまよっている人でも、ここに来ればなんとかなるかもしれません」

 日比谷公園をめざして歩き始め、夜10時頃、公園に着いた。ボランティアの女性からおにぎりと温かいお茶を手渡されると、涙がこみ上げてきた。

 同村で弁護士に住民票を持っていないことを明かすと、「そういう人を守るのが法律です。ともにがんばりましょう」と励まされた。

 男性は派遣村が終了する5日、生活保護を申請する。「多くの人の温かさに触れた。もう一度、頑張ってみます」。そう誓った。

派遣村が終了する

— posted by サイト管理者 at 04:39 pm  

ストレスの溜まりやすい戦場

Mon 29 Dec’08

カテゴリー » 埼玉

[編集] 小説

舞姫(1890年1月、「国民之友」)
うたかたの記(1890年8月、「国民之友」)
文づかひ(1891年1月、吉岡書店)
半日(1909年3月、「スバル」)
魔睡(1909年6月、「スバル」)
ヰタ・セクスアリス(1909年7月、「スバル」)
鶏(1909年8月、「スバル」)
金貨(1909年9月、「スバル」)
杯(1910年1月、「中央公論」)
青年(1910年3月 - 11年8月、「スバル」)
普請中(1910年6月、「三田文学」)
花子(1910年7月、「三田文学」)
あそび(1910年8月、「三田文学」)
食堂(1910年12月、「三田文学」)
蛇(1911年1月、「中央公論」)
妄想(1911年4月、「三田文学」)
雁(1911年9月 - 1913年5月、「スバル」)
灰燼(1911年10月 - 1912年12月、「三田文学」)
百物語(1911年10月、「中央公論」)
かのように(1912年1月、「中央公論」)
興津弥五右衛門の遺書(1912年10月、「中央公論」)
阿部一族(1913年1月、「中央公論」)
大塩平八郎(1914年1月、「中央公論」)
堺事件(1914年2月、「新小説」)
安井夫人(1914年4月、「太陽」)
山椒大夫(1915年11月、「中央公論」)
じいさんばあさん(1915年9月、「新小説」)
高瀬舟(1916年1月、「中央公論」)
寒山拾得(1916年1月、「新小説」)



[編集] 戯曲
生田川

[編集] 翻訳
カルデロン・デ・ラ・バルカ『調高矣津弦一曲』(1889年)※三木竹二との共訳
『於母影』(1889年、新声社訳、「国民之友」夏期付録)
ハンス・クリスチャン・アンデルセン『即興詩人』(1892年11月 - 「しからみ草紙」、のち「めさまし草」で1901年2月完)
ゲーテ『ファウスト』(第一部:1913年1月、第二部:3月、冨山房)
『サロメ』 オスカー・ワイルド

[編集] 史伝
渋江抽斎(1916年1月 - 5月、「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」)

[編集] 家族 親族
妻子

先妻 登志子(海軍中将赤松則良娘)
長男 於菟(おっと、医学者、台北帝国大学医学部教授などを歴任)
後妻 - 志け
小説「波瀾」を著しており(『樋口一葉・明治女流文学・泉鏡花集』現代日本文学大系5、筑摩書房、1972)、義妹の小金井喜美子とともに雑誌「青鞜」の賛助員になっている。
長女 森茉莉(まり、随筆家・小説家)
次女 小堀杏奴(あんぬ、随筆家)
次男 不律(ふりっつ、夭折)
三男 類(るい、随筆家)
4人の子供はいずれも鴎外について著作を残しており、とりわけ茉莉(国語教科書に載った『父の帽子』)と杏奴(『晩年の父』)が有名である。

弟妹

弟 森篤次郎(三木竹二)
明治期を代表する劇評家で、内科医。演劇雑誌「歌舞伎」を主宰し、歌舞伎批評に客観的な基準を確立した(三木竹二『観劇偶評』岩波文庫、2004)。
妹 小金井喜美子
明治期に若松賤子と並び称された翻訳家で、また随筆家・歌人でもあった(『鴎外の思い出』岩波文庫、1999。『森鴎外の系族』岩波文庫、2001)。
義弟 小金井良精
喜美子の夫。初期の文部省派遣留学生(鴎外の前年に留学)。24歳で帰国し、27歳のとき高給の外国人教師に代わって東京帝国大学医学部教授に就任。
小金井夫妻の孫の一人が小説家の星新一。

傍系

西周
鴎外の曾祖父の次男、森覚馬が西家を継いで生まれた子で、幕末明治維新の西洋法学者。上京後の一時期、鴎外少年は西周邸から進文学社に通学した。

[編集] 系譜
森氏 典医としての森家は慶安年間から明治2年の版籍奉還に及ぶ。
玄佐━玄篤━玄叔━周菴━玄佐━玄碩━玄叔━周菴━秀菴━立本━秀菴━白仙━静泰━┳林太郎      
                                        ┣篤次郎
                                        ┣喜美子
                                        ┗潤三郎

[編集] その他
常日頃、文人の自分と武人のそれを厳格に分けて考えていた。あるとき文壇の親しい友人が軍服を着て停車場にいた森に何気なく話しかけたら、その友人を怒鳴りつけたことがある。
軍人としての誇りが高く、娘と散歩する時にも必ず軍服に着替えた。あるとき杏奴と散歩をしていると、「わー中将が歩いているぞ」と子供たちがバラバラと駆け寄ってきた。日露戦争後で、軍人が子供たちのヒーローであったのである。得意満面の鴎外を、あこがれの目で見つめていた子供たちの一人が、襟の深緑色を見て、「おい、なんだ、軍医だよ」と声をあげると、「なーんだ、軍医かあ」と言いながら子供たちは散ってしまった。あとには呆然として立ち尽くす父娘が残され、がっかりとした鴎外は帰宅するまで、一言もしゃべらなかったという。
鴎外が軍医総監にまで上り詰めた背景には、長州閥との接触にあった。鴎外の出身地である津和野は石見の中でも長州と関係が深く、鴎外は徹底的に山縣有朋にすり寄った。乃木希典との親交も、同じ長州閥のためであった。[要出典]
1892年に東京都文京区へ建設し、晩年まで過ごした住居「観潮楼」跡地に、文京区立本郷図書館鴎外記念室がある。
細菌学を究めて以来、パスツール同様潔癖症になってしまい、どんな食べ物も加熱しないと食べられなくなってしまったという。その一方で、風呂嫌いでもあった。
大の甘党でもあり、娘(茉莉・杏奴)の著書によると饅頭を茶漬けにして食べていたという。これは潔癖症も原因で、食品を砂糖漬けにしたり、熱湯をかけたりすれば細菌は死滅するから、という考えもあったようだ。




[編集] 関連項目
石黒忠悳
小山内薫
北原白秋
戦争論 (クラウゼヴィッツ)
高木兼寛
田村怡与造:陸軍軍人。ドイツ留学時代から交友。
永井荷風
横浜市歌
吉田増蔵
依田學海
飛行機 - 森鴎外が初めてこの単語を考案、使用した。

[編集] 脚注
^ 第一大学区医学校予科に入学。
^ 『講座 森鴎外』第1巻、15頁。なお同書は、学生、作家、軍医、家庭人の側面から、鴎外の実像にせまっている。
^ ドイツ人教師がいて生徒の1割強が華族の身分。当時の父親の収入を踏まえると、西周が学費も世話をしたという説がある。
^ 自伝的小説『ヰタ・セクスアリス』に主人公の哲学者金井湛の体験として「寄宿舎では、その日の講義のうちにあった術語だけを、希臘拉甸の語原を調べて、赤インキでペエジの縁に注して置く。教場の外での為事は殆どそれ切である。人が術語が覚えにくくて困るというと、僕は可笑しくてたまらない。何故語原を調べずに、器械的に覚えようとするのだと云いたくなる。」と記されている。
^ 小堀杏奴『晩年の父』、195-196頁。林尚孝『仮面の人・森鴎外』、小平克『森鴎外「我百首」と「舞姫事件」』など。林尚孝はドイツ人女性をエリーゼ・ヴィーゲルトとする。エリーゼ・ヴァイゲルト(Elise Weigert)説もあり、また当時既婚者であったエリーゼ・ヴァイゲルト説を否定し、裕福な既製服店の娘アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト(Anna Berta Luise Wiegert)とする新説もある。AnnaとLuiseが鴎外の子供達の名(杏奴、類)と一致することも指摘されている(植木哲『新説 鴎外の恋人エリス』)。
^ 森鴎外と「エリス」―ドイツ・ベルリン
^ 『しがらみ草紙』は、3号に坪内逍遥と幸田露伴の、4号に山田美妙と石橋忍月の文が掲載され、その地位が高まった。最盛期に2,000部が売られた。
^ 鴎外の「翻訳」(広義)ぶりの現代的意味は、長島要一『森鴎外 文化の翻訳者』が参考になる。ちなみに、『鴎外全集』53巻(岩波書店、1951-56年)の内訳は、著作編33巻、翻訳編18(戯曲10、小説6、戦論・医事2)巻、別巻2である。
^ 日清戦争後、東京美術学校に復職した後、審美学と西洋美術史を講じた。新関、180頁。
^ 山崎は、「遅れた社会に科学を育てるには条件が必要。それは「標準」である。「芸術」の「標準」として鴎外は乾いた日本の土壌に「審美学」を植え付けようとした」と指摘した。202頁、2007。
^ 1月に創刊された『めさまし草』は、3月から「三人冗語」が掲載され、9月以降これに依田学海・森田思軒・尾崎紅葉等が加わり、「雲中語」として評判になった。紅葉・川上眉山・正岡子規・高浜虚子・落合直文等が文を寄せた。また『於母影』の共訳者であった井上通泰の実弟、柳田国男も松岡国男名で歌評を書いており、夏目漱石の俳句も掲載された(3号)。
^ 池内、67頁。
^ この人事は、鴎外本人の受け止め方を別にして当時の状況を踏まえれば、左遷と言えるのか疑問視する声もある。松本清張、108-111頁。
^ 池内、73-92頁。
^ 慣例として前任者(小倉「左遷」人事をした小池正直)の推薦が必要であった。なお小池は、7歳年上であったが、鴎外とは同窓生であり、かつて卒業後の鴎外を採用してもらえるように陸軍軍医監の石黒忠悳に熱い推薦状を提出していた。学生時代の二人を知る緒方収二郎は、鴎外を「強記は実に天才」、小池を「沈黙謹厳」と評した。山崎(2007)、41頁、310-311頁。
^ 山崎(2007)、837頁。新関、180頁。
^ 鷗外は、1910年12月10日、被告26人が出廷した大審院特別法廷(非公開)の高等官傍聴席にいたという説がある。なお同年12月14日、与謝野鉄幹と大逆事件弁護人の平出修とを供応した。その平出は、鷗外から一週間にわたって社会主義・無政府主義に関する講義を受けたと伝えられている。『講座』第二巻、303-306頁。
^ 末延は、小説『鼠坂』についての見出しに「「剣」に屈服した新聞記者」という副題をつけた。246-281頁。
^ 陸軍に絶大な影響力をもつ山県有朋とは、親友の賀古鶴所をとおして関係があった。1906年6月10日、鴎外と賀古が佐佐木信綱と井上通泰ら4名を酒楼「常盤」に招いて歌会を起こすことを勧め、その後、賀古が山県に話のついでに告げたところ、山県も力をそえることとなった(山崎、285頁、2007)。その歌会常盤会は、山県が他界するまで15年間つづいた。もっとも5月後、前年から体調を崩していた鴎外も他界した。ちなみに、鴎外が山県の誕生祝の宴に初めて招かれたのは、軍医総監を退く前年の1915年である。
^ 池内、137頁。
^ 乃木希典の殉死と「興津弥五右衛門の遺書」に関する通説・定説には、批判もある。池内、147-157頁。
^ 鴎外の歴史小説は、『阿部一族』、『大塩平八郎』、『堺事件』、戯曲『曾我兄弟』(1914年3月)まで「権力と民衆」への視点を基本構図としながらも、殺伐とした物語が多かった。『安井夫人』(1914年4月)以来、『山椒大夫』、『ぢいさんばあさん』、『最後の一句』、『高瀬舟』など家族の情を主体としたものが多くなっていく。山崎(2007)、655頁。
^ 「空車」(むなぐるま)に対し、これまで様々な解釈がなされている。近年も注目すべき解釈が提示された。池内、198-207頁。
^ 唐木順三にしたがえば、「礼儀小言」は大正期の日本人の暮らしと思想のあまりの大変動に恐怖を感じた明治人、鴎外の大正的なるものに対する深刻な憂いの表明である。片山杜秀『近代日本の右翼思想』講談社選書メチエ、106頁、2007。
^ この点は、猪瀬直樹『天皇の影法師』が詳しい。
^ 「立ち依(よ)らば、大樹の陰、その名は鴎外、森林太郎」と書いた太宰治は、遺言にもとづき、鴎外の墓の前(はす向かい)に埋葬された。猪瀬、9頁。
^ たとえば、日本初の西洋風演出による新劇運動として、その後の演劇界に多大な影響を与えた自由劇場の第一回旗揚げで上演されたのは、イプセン作・鴎外訳『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』(小山内薫の演出)であった。当時の鴎外は、「草創期の新劇にとって非常に大きな力」となり、「ある時期、鴎外が西洋の近代戯曲への窓口だったといっていい」とまで評価されている。『講座』第三巻、176-177頁。
^ 国民歌劇協会が作曲家グルック生誕200年を祝って1914年7月2日に上演を予定し、鴎外に訳を委嘱した。ただし、第一稿は留学先のドイツから持ち帰った台本を底本としたため、協会の楽譜に合わず、その後、第二稿は完成したものの、諸般の事情によって上演されなかった。しかし、91年後の2005年9月、その幻のオペラは、関係者の尽力により、鴎外が求めたフルオーケストラで初演された(上野・東京藝術大学奏楽堂)。DVD:森鴎外訳オペラ「オルフエウス」紀伊国屋書店KKCS-65。
^ たとえば、ドイツから帰国した翌1889年年8月、発足したばかりの日本演芸協会の文芸委員になっており、同年10月刊行の『しがらみ草紙』創刊号で「演劇改良論者の偏見に驚く」を発表。
^ 田山花袋は、「私は殊に鴎外さんが好きで、『柵草紙』などに出る同氏の審美学上の議論などは非常に愛読した。鴎外さんを愛読した結果は私もその影響を受けた。」(「私の偽らざる告白」『文章世界』1908年9月)と書いた。日露戦争中、第二軍写真班の取材記者として5ケ月ほど従軍した花袋は、宇品港のある広島市で、同軍軍医部長の鴎外とはじめて対面し、二人は文学談義を交わすなど頻繁に会っていた。『講座』第一巻、388頁、403-405頁。
^ 弟子の有無に限らず、松本清張による鴎外と漱石の比較が興味ぶかい。松本、93-97頁。なお、鴎外と漱石の対比は、生前の鴎外を知る平塚らいてうもしており、金子『鴎外と〈女性〉』、314-315頁で読むことができる。
^ 山崎(2007)、299頁。
^ そうした鴎外の女性観については、金子幸代『鴎外女性評論集』が参考になる。同書には、一葉や晶子やらいてうの評なども集められている。また、金子幸代『鴎外と〈女性〉』には、鴎外と女性解放運動に関する記述があり、らいてうの回想文を引用(322頁)し、鴎外が日本初の女性団体新婦人協会の設立にどう関わったのか等を紹介している。ちなみに、若き日の鴎外は、1885年にドイツ初の女性団体「独逸婦人会」(1865年設立)の第13回総集会を傍聴していた。
^ 平時よりもはるかにストレスの溜まりやすい戦場において、食事は重要な娯楽のためである。また食事が士気に影響することは軍隊に限らず、スポーツなどの場面でも言われている。
しかし、この当時は「海軍のメシはうまい(西欧食中心であったため)」が陸軍兵士の羨望であり、かつ脚気が海軍で少ないこと、栄養に原因がありそうだという噂も一部の上級将校は知っており、ひっそり戦地で麦飯を調達する将校すらいた。ただ、上述のような事情があるため、下士官以下には海軍の健康状況は伏せられた。
^ 山下政三『鴎外森林太郎と脚気論争』。なお、『脚気の歴史』や『明治期における脚気の歴史』などを著した山下は、「兵食問題や脚気問題を精密に検討するには、基礎栄養学、ビタミン学、脚気医学の専門知識が不可欠である。それらの知識なくしては、問題の内容を正確に把握できるはずはない。核心を正しく論評できるはずはない。錯誤におちいるのは必然である。」と指摘した。471-472頁。
^ 山下、437頁。
^ 山下、306頁。

[編集] 参考文献
池内健次『森鴎外と近代日本』ミネルヴァ書房、2001。ISBN 4-623-03559-X
猪瀬直樹「元号に賭ける」『天皇の影法師』著作集10、小学館、2002。ISBN 4-09-394240-4
植木哲『新説 鴎外の恋人エリス』 新潮選書 2000年
金子幸代『鴎外と〈女性〉』大東出版社、1992年。ISBN 4-500-00588-9
金子幸代(編・解説)『鴎外女性論集』不二出版、2006。ISBN 4-8350-3497-X
小平克『森鴎外「我百首」と「舞姫事件」』同時代社、2006。ISBN 4-88683-577-5
小堀杏奴『晩年の父』岩波文庫、1981。ISBN/ASIN 4003109813
小堀桂一郎『森鴎外 批評と研究』岩波書店、1998。ISBN 4000252836
末延芳晴『森鴎外と日清・日露戦争』平凡社、2008。
長島要一『森鴎外 文化の翻訳者』岩波新書、2005。ISBN 4-00-430976-X
新関公子『森鴎外と原だ直次郎』東京藝術大学出版会、2008。
平川祐弘・平岡敏夫・竹盛天雄 編『講座 森鴎外』第一巻~第三巻、新曜社、1997。
松本清張『両像・森鴎外』文春文庫、1997。ISBN 4-16-710684-1
森まゆみ『鴎外の坂』新潮文庫、2000。ISBN 4101390223
山崎國紀『評伝 森鴎外』大修館書店、2007。
山下政三『鴎外森林太郎と脚気論争』日本評論社、2008。
吉村昭『白い航跡』上下、講談社、1994。ISBN 4061856790(上) ISBN 4061856804(下)

[編集] 外部リンク
ウィキソースに森鴎外の原文があります。森鴎外に関する引用句集があります。ウィキメディア・コモンズには、森鴎外 に関連するマルチメディアがあります。森 鴎外:作家別作品リスト(青空文庫)
作品リスト (近代デジタルライブラリー。往時の印刷状態のまま読める)
文京区立本郷図書館鴎外記念室(文京区)
鴎外文庫書入本画像データベース(東京大学総合図書館。鴎外の自筆草稿や書入本を見ることができる)
森 鴎外
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森鴎外遺言
森鴎外 名所
近代文学研究会:『舞姫』論、鴎外の医学方面での活動
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マルチメディア 関連する

— posted by サイト管理者 at 04:28 pm  

舞い昇格人

Fri 12 Dec’08

カテゴリー » 池袋

(常陸、下野、上野、下総、上総、安房、武蔵、相模、伊豆)

佐竹氏
多賀谷氏
小田氏
江戸氏
那須氏
宇都宮氏
佐野氏
皆川氏
小山氏
山内上杉氏
由良氏
上野長野氏
下総結城氏
千葉氏
上総武田氏
正木氏
里見氏
扇谷上杉氏
相模三浦氏
小田原北条氏(鎌倉幕府の執権であった北条氏と区別する為に後北条氏とも言われる)

[編集] 中部
(越後、越中、能登、加賀、越前、甲斐、信濃、飛騨、駿河、遠江、三河、尾張、美濃)

長尾氏(上杉氏)
神保氏
椎名氏
畠山氏
朝倉氏
甲斐武田氏
諏訪氏
小笠原氏
村上氏
高梨氏
真田氏
木曽氏
三木氏(姉小路氏)
江馬氏
今川氏
松平氏(徳川氏)
斯波氏
織田氏
土岐氏
斎藤氏

[編集] 近畿
(近江、伊賀、伊勢、志摩、山城、丹波、丹後、若狭、摂津、和泉、河内、大和、紀伊、播磨、因幡、但馬)

京極氏
浅井氏
六角氏
北畠氏
神戸氏
長野工藤氏
関氏
波多野氏
内藤氏
赤井氏
一色氏
若狭武田氏
細川氏
三好氏
河内畠山氏
筒井氏
松永氏
赤松氏
別所氏
山名氏

[編集] 中国・四国
(美作、備前、備中、備後、伯耆、出雲、石見、安芸、周防、長門、讃岐、阿波、土佐、伊予)

浦上氏
宇喜多氏
三村氏
備後山内氏
小早川氏
南条氏
尼子氏
安芸武田氏
毛利氏
吉川氏
大内氏
陶氏
十河氏
長宗我部氏
本山氏
安芸氏
土佐一条氏
河野氏
西園寺氏
伊予宇都宮氏

[編集] 九州
(豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、対馬、肥後、日向、大隅、薩摩)

大友氏
少弐氏
宗像氏
秋月氏
立花氏
蒲池氏
龍造寺氏
鍋島氏
松浦氏
大村氏
有馬氏
宇久氏
宗氏
菊池氏
阿蘇氏
相良氏
土持氏
伊東氏
肝付氏
島津氏

[編集] その他の勢力
一向宗(浄土真宗本願寺派)
比叡山(延暦寺)
雑賀衆
根来衆(根来寺)
室町幕府(足利氏)
堀越公方(足利氏)
古河公方(足利氏)
堺衆

[編集] 参考文献
小和田哲男『戦国大名』(中公新書637)、中央公論社、1981年12月。

[編集] 関連項目
大名領国制
城下町
分国法
戦国時代史料の一覧
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14歳以下の人口の割合は全国一高い

Fri 21 Nov’08

カテゴリー » 品川

人口密度は全国で第9位で、三大都市圏の都府県を除くと福岡県に次いで2番目に多い。

気象
気候は沖縄諸島(沖大東島を除く)・宮古列島(多良間島を除く)・尖閣諸島では亜熱帯性で温帯に属し、八重山列島・多良間島・沖大東島では熱帯性気候で熱帯雨林気候である。沖縄県各地方共高温多湿で年間降水量は2,000ミリメートル以上。年間平均気温は摂氏約22度前後。 また沖縄地方は台風銀座と呼ばれており、毎年多くの台風が接近する。

自然公園
国立公園(1箇所) 西表石垣国立公園
国定公園(2箇所) 沖縄海岸国定公園、沖縄戦跡国定公園
県立自然公園(3箇所) 久米島県立自然公園、伊良部県立自然公園、渡名喜県立自然公園

歴史
1879年(明治12年)3月、琉球処分により沖縄県が設置された。
1945年(昭和20年)アメリカの統治下に入る。
1972年(昭和47年)5月15日、日本に復帰した。27年間、アメリカの統治下にあった。
その他は、沖縄県の歴史、沖縄県の年表を参照。


政治

知事
仲井眞弘多 - 2006年(平成18年)12月10日から現職
歴代知事については沖縄県知事一覧を参照。

議会
沖縄県議会も参照

定数 48人
任期 2008年6月25日 - 2012年6月24日
沖縄県議会議員選挙は統一地方選挙では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙の1つである(他は東京都、茨城県)。これは、日本復帰後の選挙が1972年6月25日に行われたことによるためで、他の2都県(議会の解散)とは事情が異なる。


人口
合計特殊出生率・自然増加率・14歳以下の人口の割合は全国一高い。


年齢構成
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
総計 [単位 千人]

年齢 人口
0 - 4歳 84
5 - 9 84
10 - 14 86
15 - 19 90
20 - 24 94
25 - 29 94
30 - 34 101
35 - 39 89
40 - 44 90
45 - 49 94
50 - 54 101
55 - 59 70
60 - 64 65
65 - 69 66
70 - 74 55
75 - 79 39
80歳以上 58
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
男女別 [単位 千人]

男 年齢 女
43 0 - 4歳 41
43 5 - 9 41
44 10 - 14 42
46 15 - 19 44
48 20 - 24 46
47 25 - 29 47
50 30 - 34 51
44 35 - 39 45
45 40 - 44 45
48 45 - 49 46
52 50 - 54 49
36 55 - 59 34
32 60 - 64 33
32 65 - 69 34
26 70 - 74 29
15 75 - 79 24
17 80歳以上 41



データ出典:第10表/都道府県, 年齢(5歳階級), 男女別人口-総人口
(総務省統計局)

沖縄県と全国の年齢別人口分布図(比較) 沖縄県の年齢・男女別人口分布図
■紫色は沖縄県
■緑色は日本全国 ■青色は男性
■赤色は女性
1980年 1,106,559人
1985年 1,179,097人
1990年 1,222,398人
1995年 1,273,440人
2000年 1,318,220人
2005年 1,361,594人

総務省統計局 / 国勢調査(2005年)


有形文化財建造物
重要伝統的建造物群保存地区
渡名喜島 (渡名喜村)

竹富島 (竹富町)

建造物 有形文化財

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